京都の老舗企業として見た任天堂
任天堂は現在世界的大企業ですが、100年以上続く京都の老舗企業でもあります。
今回は任天堂を京都の老舗企業として考えた時にどういった特徴があるのかを見ていきます。
京都というまち
京都企業
任天堂の特徴
まとめ
京都というまち
京都は日本に現存する数少ない村社会の一つです。外部の人間を温かく迎えるということはほとんどありません。京都人はプライドが高いとよく言われる原因の一つではないかと思っています。
非常に閉鎖的なコミュニティで京都人同士の阿吽の呼吸で京都の社会は成り立っていると考えてもよいと思います。
京都企業
実は京都の老舗企業の割合は全国トップだったりします。
国で言うと、創業200年以上の企業数は2位ドイツの1563社を大きく離して日本は3113社で世界トップの数です。(「三代、100年つぶれない社会のルール」より)
とまあ、京都企業は老舗が多いわけです。
こういった京都の老舗企業の特徴としては「会社を持続させること」に重きをおき、無借金経営をしていたり、経営者が質素な生活を送るなど、経営の地盤を強く固める企業が多いです。
また、よそがやっている事業には手を出さないという暗黙の了解もあります。
企業間競争に勝てそうだからといって他の企業がやっている事業に参入して潰すということはあまり美徳とは考えられません。
任天堂の特徴
今でこそ任天堂は世界的大企業となり潤沢な資金があるので、無借金経営といういわば京都企業らしい特徴を持っていますが、以前はそうではありませんでした。
任天堂を世界的大企業に育て上げた山内溥社長はかなりの賭博師で次の新規事業に今まで得た利益をほとんど全てつぎ込むという経営スタイルでした。
なので新規事業が上手くいかないとすぐさま倒産の危機を迎えました。
ボーリング場の跡地を使ったレザークレー射撃場が、石油危機で上手くいかなくなった結果、経営危機に瀕することになりました。
この辺はあまり京都企業らしいとは思えません。
しかし、そもそもなぜ花札カルタからゲーム会社に変化していったのかを見ていくと、京都企業らしい特徴があるかもしれません。
任天堂は花札やカルタだけでは維持できないと考えた山内溥社長は色んなものに手を出します。
ふりかけやインスタントラーメンやコピー機の製造、タクシーやラブホテルの経営など色々やりますが全て失敗に終わります。そして結局同じ娯楽分野で玩具で成功し、インベーダーブームに目をつけ、ゲームで世界を制します。
玩具もゲームも当時の京都の老舗企業と競争しない分野です。
事業を転換させたのも海外進出を狙ったのも、世界的大企業に育て上げるためではなく、会社を存続させるために行ったことなんですよね。
ゲームが一番売れるのは欧米市場なのでゲーム会社として成功するにはアメリカでの成功がキーだったわけです。
これは老舗企業に共通する話なのですが、何100年も企業が存続し続けるにはイノベーションが必須なんですよね。同じ事をずっと続けていれば会社はもつほど、あまいものではなく、イノベーションは「生き残るための原動力」なのです。
任天堂にとってのイノベーションとは玩具の開発、そしてゲーム機の開発です。
生き残るためにこういったイノベーションを次々と起こしていったのはまさに老舗企業らしい特徴なのではないかと思います。
まとめ
任天堂という会社は社長の山内溥さんの個性から一見、京都の老舗企業と思えませんが、随所随所で見ていくと京都の老舗企業らしい特徴が垣間見え、やはり京都の企業なのだなと感じられるユニークな会社だと思います。